数日前に、子供を連れて清水駅前商店街の”七夕祭り”に行ってきました。なんでも昭和28年から始まって、だから、・・・・、えっと、かなり長く続いているお祭りです。駅前商店街に竹に飾ったいろいろな七夕飾りがあって、ちょっと小さい平塚の七夕祭りのようなものです。
昔はよく行ってたんですよね。ボクが小学生の時に家族で行って、中学の時には電車で友達と行って、それからは、あまり機会がなくて、行ってなかったです。
久々に行って、人出も、屋台の数も、七夕飾りも、あの頃のようで、とても楽しかったです。
でも、ねぇ・・・。
あの頃(ボクが小学生の頃)は、あまり物を持ってなかったせいか、商店街を歩く”買う側”の人も、あぁ、こんなものある、欲しい!みたいな、熱気があって、それに答えるように、お店側も、うずたかく商品が積んである! のような雰囲気がありました。
この前は、そう、歩く側も、なんか、そういう熱気がないんですよね。
景気が悪いとか、お金がない、とかが理由じゃなくて、”ものを持っていて、買うものがない”的な、感じでした。勢い、人が良く買っているのは、食べ物。服やその他の物系には、あまり人が集まってなかったです。そうそう、どこかの大学の学生さんのカルテットみたいな演奏会、路上パフォーマンスっていうのかな?? それには、人が集まってました。
ボクも、売る側の人間なので、いろいろ示唆的な部分があって、そういう意味でも、とても楽しかったです。
ものは、あるんです。みんな、だいたい、持ってます。
どうですか? これを読まれている方、熱烈に欲しいものって、減ってませんか?? (除く アップル・ストアに徹夜でならんで、iPadやiPhone4を買う方)
だから、これから、ボクら供給する側は、物に関しては”いままでに無いもの”を。
売り方に関しては、”需要を作ってから、商品を出す”。
需要をつくるとは、”便利さ”もしくは”感動”を生活に付加させることができることを広める。
いまの日本は、物が欲しい熱気がなくて、生活に満足もしくは我慢していて、意味のない不安と、どことない閉塞感が覆っている社会です。
それらを打破できるものは、やはり”感動”なのかなぁ、と、思ったりもします。
んー、感動を広めることは、世の中の役に立つことだと、思うのですが、どうでしょう??
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